港のひと
港のひと・001・創刊号
2001年5月10日発行
001◆星に想いを-心優しき人は幸なり-島尾ミホ
 「写真をお送りします。天文学者の方が撮影したものです……青白い星雲がまとわりついているすばるを見ていますと、私はいつも、柔らかなガーゼの産衣にくるまれた赤ちゃんを思い出します……」。お人柄が偲ばれる心優しい詞《ことば》が添えられたすばるの写真を戴き、私はその日一日心豊かな想いに満たされました。時あたかも二〇〇一年新玉《あらたま》の年立ち返る初空月の初めのことでした。
 その晩私は亡夫島尾敏雄の写真を胸に抱いて、深更に及んでも尚星空を仰いでいました。見上げる天穹には、星雲の中に散開する牡牛座のすばるの星団、そして三千年も前の中国最古の詩集『詩経』にも書き残され、また古人が時刻と季節を知る証しとして尊んだ北斗七星、その他多くの星座が、悠久の時の流れのロマンを秘めて、神の恩寵を恵与するかのように輝いていました。足許には父がこよなく愛した、白、ピンク、真紅等の大輪の薔薇が星明かりに揺れていました。此処南の島は昼は白く明るく、夜は蒼く深く、更けゆくにつれて星は更に輝きを増します。星に想いを寄せ得る幸せを、私は幼い頃両親から授かりました。
 美しい星月夜には両親は幼い私の手を両方から引いて、色鮮やかな南国の花々が、甘く爽やかな薫りを辺り一面に漂わせている庭に降り立ち、星座を指して呼び名を教え、その星にまつわる物語を話してくれました。夏の夜空にたゆたう銀河の岸に佇む牽牛星と織女星が「河漢は清く且つ浅し 相去る復た幾許ぞ」と嘆いた物語や『三国志演義』での諸葛孔明が赤壁の戦いの折に、北斗七星に戦勝を祈願した史旧等、幼い私にも理解が及ぶ優しい語り口で語ってくれました。父はまた星物語に関連する漢詩を唐音でくちずさび聞かせました。「迢迢牽牛星 皎皎河漢女 ……河漢清且浅 相去復幾許 盈盈一水間 脈脈不得語」。言葉の意味は解らぬ乍らも、柔らかな父の唐音の漢詩は私の心耳に深く沁み透り、度重ねて聞くうちに、いつしか童謡でも習うかのように、唐音での漢詩を覚えていました。謹厳な父には珍しく時には家伝の刀を持ち、私には父手作りの木剣を持たせ、詩吟に合わせて剣舞を教えることもありました。
 すばるの写真を戴いてからそれ程日を措かずに「……人はいつしかいなくなりましても、その人と共に仰いだ星はいつまでも身近にあります……」と何時も乍らの床しい芳書を重ねて戴き、私は祭壇の島尾の写真の前に供えてから、読みあげて島尾に聞いて貰いました。島尾と共に仰ぎ見た羽子板星が思い出されて涙が零れました。
この御方からお便りを戴く度に、―心優しき人は幸なり―と諭した母の教えが思い出されます。
 その晩も私は島尾の写真と共に、明けの明星が東雲の空に輝き出す迄、庭のパパイヤの木の下に立ち、また濡れ縁にかけて星を仰ぎました。島尾生前には私達はよく一緒に星空を眺めました。そして過ぎ来し方の折々に仰いだ羽子板星に就いて語りました。殊に第二次世界大戦の折に、南の島で二人で眺めた星のことを話し合う時には、感懐がこもりました。当時日本軍は制空、制海の権を全く失い、敵機の来襲は昼夜の区別なく続き、砲弾や爆弾が処構わず炸裂していました。その戦場で束の間の逢う瀬に、二人で羽子板星を仰ぎ見る時には、刻はまさに「一刻値千金」でしたし、明けの明星が輝き始める惜別の時刻は憾めしく、その時、その時こそが、今生の別れと覚悟を決めての別れでした。
 あの時から半世紀以上の歳月が流れましたが、小さな星が羽子板の形にたくさん寄り集まっている羽子板星を見る度に、つい先頃のことのように思えてなりません。第二次世界大戦も終結に近い頃、島尾は奄美群島加計呂麻《カケロマ》島の呑之浦《ノミノウラ》という深い入江の奥に駐屯する、海軍特攻第十八震洋隊島尾部隊の隊長の任に在りました。私は特攻基地と岬をひとつ隔てた聚落の国民学校の教師をしていました。人の世の縁《えにし》は神の如何なる御旨《みむね》に依るものでしょう。明日をも知れぬ日日の命の特攻隊長の島尾と私は互いに心を寄せ合うようになりました。
 思い起こせばあれは昭和二十年八月上旬の、夜空の美しい晩でした。岬の塩焼小屋の側の浜辺に彼は腰をおろし、私は何時ものように少し離れたうしろに正座をしていました。深夜の磯浜の難路を岩踏み越えて辿り着き、漸く会えても、言葉を交わすことは少なく、長い間黙って海を見ていました。「広島に特殊爆弾が投下され、広島市は壊滅したそうです。広島の土地には百年間は草も木も生えない程の威力ある爆弾だそうです」。独白のように言って彼が空を見上げ、「今夜は羽子板星が殊に耀いて見えますね」と言ったその時、突然特攻基地の方向に中天高く紅蓮の火炎が立ち上り、万物諸共に砕け散るかと思える爆発音が轟き渉りました。特殊爆弾の投下!と私は思いました。彼は立ち上がり「隊へ帰ります、あなたもお帰りください」と言うと駆け出しました。特攻戦出撃!と私は思いました。今にも島尾部隊の全特攻艇が隊列を組み出撃して征くのではないかと、基地の方を見つめましたが、その気配はなく、岬にも別段変ったことも起こらず、渚に寄せ引く小波が単調な調べを優しく繰り返しているだけでした。時が長く感じられました。見上げる天上には人の世のことには係わりなく、羽子板星がダイヤモンドの寄り集まりのようにちかちかと瞬いていました。彼は特攻戦で壮烈に散華し、私は短剣を我が身に押し当てて命の綱を絶ち、彼の黄泉路の旅の供となって、二人共々に帰天の際には、二人の魂は羽子板星にお加えくださいと祈りました。涙で潤む目に羽子板星も泣いてくださっているように見えました。夜の内海《うちうみ》は山中の湖水さながらに波ひとつ立たぬ静寂につつまれ、私もまた明鏡止水の心境でした。
 大君の醜《しこ》の御楯《みたて》と征《ゆ》き給う加那《かな》(吾脊子)
 ゆるしませ死出の御供《おんとも》
 広島に特殊爆弾が投下された三日後に、長崎の上空にも特殊爆弾が炸裂しました。それは普通の爆弾の数万倍のエネルギーを持つ、原子爆弾とのことでした。この長崎被爆の数日後に戦争は終りました。
 酷烈な戦争を身近に体験した私には、戦場での日々を思い起こす度に、平和の世に在ることの有り難さが心身に沁みます。殊に美しい星月夜には、爆弾に怯えることもなく、心静かに亡き父、母、夫を偲びつつ星に想いを寄せ得る幸せが、しみじみと胸裡にひろがって参ります。(作家)
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