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港のひと
港のひと・001・創刊号
2001年5月10日発行
005◆鎌倉私跡抄-保昌正夫
鎌倉に港の人が開業すると聞いたとき、この社名は実朝に拠っているのか、と想った。すこし前に日本近代文学館で太宰治の作品集の複刻をすることになり、そこで『右大臣実朝』の解説が回ってきて、この書き下ろし作品を読み直していたから、かもしれない。
この作の終わりの方に渡宋の計画をえがいた実朝が由比が浜に巨きな船を造ることが出てくる。鎌倉の浜から出港する夢。それが港の人の夢でもあろうか、と思い取ったのだ。これは一人合点の、それこそ妄想でしかなかったけれど、『右大臣実朝』は太宰の労作で嘉しとしていたから繰り返し読むことで、ついついそんな誤解をしてしまったのだ。
材木座海岸のテントハウスで開業披露の会があった折にも、そんなおしゃべりをしてしまった。ちなみに私が読んだ『右大臣実朝』は敗戦の翌年、昭和二十一年発行の怪しげな本で、太宰の戦後の本には粗末な造りのものが多い。それでいて読まれたのだ。なお実朝については中野孝次『実朝考』が、ちかごろ講談社の『文芸文庫』に加わり、そこにも「巨船」建造のことが出てくる。
鎌倉の浜へ初めて行ったのは昭和四年(一九二九年)の夏、幼稚園に入った年。由比が浜の海水浴場で低空をゆく飛行船ツェッペリンを見た。まさに空飛ぶ怪物で、声をのんだ。浜に近いポンプ屋さんに数日、避暑にいったときのこと。鎌倉の浜のツェッペリン号は忘れられない。
 小学校では六年生のときの国語読本に、
 七里が浜のいそ伝
 稲村崎名将
 剣投ぜし古戦場
に始まる「鎌倉」が載っていた。しかし、この唱歌はもっと早くから歌っていたと憶う。明治のころからの文部省唱歌だったらしい。大正琴の伴奏が似合うようなメロディだった。
 旧制中学一年生になって、山岳部の催しの新入生歓迎ハイキングで湘南アルプスへ出かけた。金沢八景のあたりから山へ入って行き、声をかけあいながら若葉の細道をたどって、鎌倉へ下りてきた。それでも途中、深山幽谷めいたところもあって、「アルプス」気分を少々味わった。
 その山中で入口にカーテンをかけて、穴ぐら暮らしをしているのを見かけて、びっくりした。鎌倉の山にはそういう人たちがいたらしい。先ごろ、昭和十年代初めの十一谷義三郎の小説を読んでいて、世間から離れて湘南の山で穴居の「ユートピア」生活をしていた人があったらしいことを知った。ついで書きだが、太宰治が鎌倉八幡宮の裏山で縊死をはかったのが昭和十年である。
 大学での卒業論文(横光利一)をみてくださったのは稲垣達郎先生であった。先生の墓は鎌倉の山を登りつめた位置の広い霊園に在り、亡友の手塚昌行(泉鏡花についての遺著がある)と同行して、そのお墓を探しあてた。そんなことも憶い出される。
 港の人のSさんにはパリから友人がきたとき、鎌倉を案内してもらった。「極楽寺坂越え行けば/長谷観音の堂近く/露坐の大仏おはします」(「鎌倉」)の大仏さまを久しぶりに仰ぎ見た。鎌倉八幡宮の桜が満開であった。
 Sさんからはときどき手みやげに鎌倉の白子干しをいただく。これは大根おろしに載せると、すこぶる佳味。
 巨き船ならずとも良し港の人
 佳《よ》き書《ふみ》積みて漕《こ》ぎつぎてあれ (日本文学)
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