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港のひと
港のひと・002・創刊2号
2002年5月20日発行
002◆鎌倉・かまくら-山本道子
 私の住所には神奈川県鎌倉市という文字がつくけれどただそれだけのことで、実際には鎌倉の住人のような気がしないといったほうが正直なところである。「はい、私が住んでいるのは緑地破壊新開地の七里が浜東ですから鎌倉ではありません」こんなロジックに可愛げがないのは承知している。しかしどうしたわけかこの潜在意識は首筋に生じたシミのように頑固に染みついてしまってどうしても拭いきれない。
 この地に住むことになったのは所帯をもったばかりの、それも親からの宛がい扶持であった。葛や茅が一面に生い茂った造成地にぽつぽつ住宅が立ちあがった頃だった。つつましく草深い庵を建ててここで死ぬことになるのかしら、などと青写真を眺めながらしんねりと自身に問いかけたことである。
 ところが予定は未定で、若い家族に待っていたのは海外移住であった。一九六八年のことで高度成長の先駆けのように企業の海外勤務が目立ちはじめた。オーストラリアのダーウィンでの三年間を終了して帰国後、家族も増えたことだし、必要に迫られて私たちはようやく住み処を建設した。ところが腰も座らない数年足らずのうちに再び海外勤務の命が下った。四年間シアトルで任期を果たし帰国してから、今度こそ自分たちの家に落ち着けるはずであったが現実の試練は厳しく、家族の通勤通学にはなんとしても遠隔地の不便さから都内で五年間暮らすことになった。
 そんなわけで主婦の私がようやく墓石ともいえる心穏やかな安住の地に住みついたのはそれからのことになる。こんないきさつのせいか私は鎌倉という地に馴染めないでいる。いまだに時間が足りないような気がするのである。ここは子孫たちの故郷になるのだろうか。おぼつかなくそんなことを考えてしまうこともある。いやいや故郷などというのはこんなものではない。しかし私が先祖になる頃には、そこはかとなく侘しくも懐かしい感慨がかもされるかもしれない。そうなると私の鎌倉もしっぽりと潤って、世間の口の端に弄ばれる名所旧跡古都寺町のポスターもさほど気にならなくなるかもしれない。なにはともあれ現生に貪欲な執着を抱いて安住の地に抱かれてみるのもいいことかもしれない。それもやっかいなことではなるが。
 夏の鎌倉は「かまくら」になる。遊泳禁止の七里が浜にもビーチパラソルが砂地を覆い、サーファーたちが波乗りに熱中している。サーフィンには最高級の波とはいえないが、彼らは失敗を繰り返しながらも根気よく波と遊んでいる。堤防に寄りかかってそんな光景をぼんやり眺めていると、健康なかまくらにエールを送りたくなる。
 この夏休みのこと、二歳の孫を連れていつものように壮大な日没を拝みに海辺をぶらついたときのこと、白く泡立つ波間にサーフボードのグループが遊んでいた。それを見つけた小さな彼がたどたどしく「カメ、カメ」と叫んだ。とっさに海亀でもあらわれたかときょろきょろしたが、なんのことはない、ボードにしがみついて波にもまれている連中に興奮しているのである。なるほどカメにそっくりだ。「ホントだ、カメさんがいっぱいだ」
 痩せた夏に薄い幕が降りる頃には、幻の海の家はばたばたと消えていく。なんといっても移ろう季節には逆らえない。「鎌倉」も「かまくら」もそれぞれの色香を充分に心得ているところがいい。(2001年9月)
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