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『読むことの系譜学 ロレンス、ウィリアムズ、レッシング、ファウルズ』
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■「序曲 純粋な冷たい水」より
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 一九九九年の夏、フィンランドの各地を旅したときに私が受けた感じは、やはり清潔であった。砂漠が清潔なように、この森と湖の国も清潔であった。今、これを書きながら、そのときの風光をあれこれと思い浮かべていると、トゥルクの町にあるシベリウス記念館の中で、セシル・グレイの本のコピーを読んでいたときの清潔な時空間にたどりついていった。
 セシル・グレイは、イギリスの評論家(一八九五~一九五一年)で、シベリウス研究の世界的権威であるが、その著作『シベリウス 七つの交響曲』が記念館にあったので、コピーをとらせてもらったのである。
 その著作の中の、第六番の交響曲を論じた章で、グレイは、シベリウスの「他の多くの現代作曲家たちは、あらゆる色合いと銘柄のカクテルを作るのに忙しかったのに対して、私は聴衆に、純粋な冷たい水(pure cold water)を提供した。」という言葉を引用した上で、他の多くの現代作曲家たちの音楽とシベリウスの音楽とのこのような関係は、シベリウスの他の作品群とこの交響曲六番との関係にもいえるとして、この交響曲は、シベリウスの音の泉からかつて流れ出た最も純粋で最も冷たい水(the purest and coldest water)である、と書いている。
 実にすばらしく的確な批評である。シベリウスの焦燥の根源にあるものを衝いている。私が、シベリウスを愛好した所以である清潔さとは、この「純粋な冷たい水」ということであった。このような水に、私は渇いていたのである。「凡そわが弟子たる名の故に、この小き者の一人に冷かなる水一杯にても与ふる者は、誠に汝らに告ぐ、必ずその報を失はざるべし」(マタイ伝第一〇章四二節)。私は、この「小き者の一人」であり、シベリウスの音楽は、「冷かなる水一杯」であったのである。
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■目次
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序 曲 純粋な冷たい水
第一曲 万物の声の音楽家
第二曲 慄える一本の葦
第三曲 凍てついた手
第四曲 白鳥透の交響曲
第五曲 忍耐は練達を生ず
第六曲 死のかげの谷
第七曲 野人の叫び
第八曲 グリーグ
第九曲 フィンランドの覚醒
第十曲 『カレワラ』
第十一曲 シベリウスと宣長
第十二曲 無限と沈黙
第十三曲 東山魁夷の耳
第十四曲 R・シュトラウス
第十五曲 チャイコフスキー
第十六曲 大俗物の渇望
第十七曲 ドビュッシー
第十八曲 シェイクスピアの『あらし』
第十九曲 葬送のための音楽
終  曲 屹立する巨岩
あとがき
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